猛暑の足音が聞こえてくるというのに、あえて春の話題を。
「桃花笑春風(とうかしゅんぷうにえむ)」。
人の世の無常さを表している漢詩だ。
あの人はどこに行ってしまったかわからないけれど、桃の花は変わらずに春の風にほほ笑んでいる。
新型コロナウイルスが世界に蔓延したパンデミックの際にも、美しさを競い合うのを忘れなかった。だから、花は健気だ。
一方で、厳しい冬を耐えてほころんだ瞬間に、やがて散りゆくという儚い運命を背負うのも、また花である。
良寛和尚は禅語に詠んだ。
「散る桜 残る桜も 散る桜」
桜は年に二回楽しむもの──桜や紅葉の秋に、己の人生を重ねてみるのも趣があっていい。
死因はさまざまだが、人は必ず死を迎える。人間の死亡率は100%だ。
家族や友人との別れの時は、誰にでも必ずやってくる。
それでも花は咲き、去年と同じように鳥は鳴く。
この春、散りゆく桜の花びらを眺めながら、皆さんは何を思っただろうか?
3月11日。岸田首相は福島県で行われた東日本大震災の追悼・復興祈念式典に出席した。
そこで、「震災の教訓を風化させることなく、国土強靭化計画の実現に向けて不断の努力を重ねる」と語り、災害に強い国をつくっていくことを誓った。
復興庁の発表によると、東日本大震災と原発事故に伴う避難者数は29,328人。関連死を含む死者・行方不明者は22,222人にのぼる。
震災当時、高校の教頭として学校避難所の運営を担っていた男性がいる。その語り口はとても穏やかだった。
しかし、内容は生々しく、過酷な避難所の状況を僕らは思い知らされることになった。
ブルーシートに包まれた遺体が安置されている体育館のすぐ横で、避難者がご飯を食べる食堂があった。
生と死の境界が、確かにそこに存在した──と男性は言う。
生きるために食事をする場所と、ブルーシートに身を包んだ死者が横たわる場所が隣り合う現実の中で、その学校に身を寄せる人たちは最大で400人となり、40日間の避難所運営は熾烈を極めたという。
命の尊さや「今日」という日の大切さを、今一度見つめ直さなければならないだろう。
指定された避難所ではなかったため、運営マニュアルなどは存在しておらず、行き場のない避難者が津波のような勢いで押し寄せてきた。
「薬」「お湯」「タオル」「ペット」──次から次へと舞い込んでくる難題に、一刻の猶予も許されず、即断即決を繰り返したという。
「悲観しながら準備をして、楽観しながら対処する」という言葉もよく聞くが、避難所運営に当てはまるのかは疑問だ。
「100の避難所があれば、その運営方法は100通りなんです」
男性の口からこぼれた一言ひとことに、強い説得力がにじんでいた。
「いざその場に立った時に、ぶれないことですよ。何が正解かなんてわからない。その場で判断する覚悟──それだけです」
"災間(さいかん)"という言葉がある。
過去の災害と、将来の災害。その間──災害と災害の“あいだ”を、僕らは今、生きているのだ。
過去の災害を風化させず、いかに備えるのか。
しかし、避難所で働くべき職員もまた被災者になるかもしれず、指定された避難所だけで対応できるのかは疑問だ。
遺体番号205番──男性が避難所運営を担っていた体育館には、自らの叔父の遺体があったという。
悲しんでいる暇さえなかったが、夜になって布団に入ると、胸が押しつぶされそうになったという。
台湾でも震度6強の地震が発生したばかりだが、避難所の映像は衝撃的だった。
発災直後にもかかわらず、避難者のプライバシーを守る間仕切りが設けられ、温かい食事も提供されていた。
平時のうちにコツコツと築かれてきた行政との信頼関係があるからこそ、地元企業やボランティア団体が有事の際にも献身的に動いてくれる。
あの映像は、原点を見つめ直すことの大切さを教えてくれたような気がする。
「日本でも同じことを!」──そう考えるのは、短絡的なのだろうか。
焦って欲を出し、一気に解決しようとしてもうまくいかないのが人間の常だ。
「ガチョウと黄金の卵」という寓話がある。
昔々、ある村にたいそう貧乏な農夫が暮らしていた。ある日、農夫は迷子になっていた一羽のガチョウを助けた。
不思議なガチョウで、毎日ひとつずつ金の卵を産んでくれた。農夫はそのたびに卵を売り、やがて裕福な暮らしができるようになった。
しかし、欲が出た農夫は「なぜ1日ひとつしか卵を産まないのか」と不思議に思い、ガチョウの首を押さえつけてお腹を切った。
中には、何もなかった。
金の卵がゴロゴロ入っているはずだと大いに期待したのに。